2007年12月27日木曜日

笠井叡と高橋悠治


来春の二月、笠井叡と高橋悠治が再び共演するという。場所はシアタートラム。
相当に関心がある。空間的にも、その使いようによっては歴史的公演になるやもしれない。そんな予感めいた想像する。バッハの「大フーガ」を演奏するとのこと。前回は小さな空間で、「ゴールドベルク」だった。前回の記録写真を見る限りでは、二人のエネルギーが空間に遮られ、ある意味自爆的であったのではないか? 

こちらからの勝手な想像・・・
二人の質が似ている。ストイックで悪戯。モーツァルトのような無邪気さ、ベートーベンのような夢想。そして、バッハのような構築への憧れ。似ている。生真面目なのか、でくの坊なのか、単なる質か? 「生きる」ことを追求する二人。天才と呼んでもいい。きわめて日本的でありながら、いわゆる西洋思想をどっぷりとしみこませ、極上のぬか漬けかチーズか。だれにも有無を言わせない。
自分は、ふたりを〈知の放浪者〉と呼びたい。飛び抜けた身体への関心。自らの身体を見極めたいと、あらん限りに「知」をむさぼる。結果、ふたりは放浪者として生きる。際限のない挑戦。

この二人のユニークさを受け入れてる〈社会〉という仕組みが面白い。そして逆説的に、二人の放浪者が社会という仕組みを受け入れていることの面白さ。武満徹の許容、土方巽の許容を想う。
〈生き様〉が「仕事」になっている。圧倒的観客は彼らの在りように魅了される。気がつけば、身体から離脱し、「知」の階段を上っている。歩行しているのだ。上っているのだ。そして、ふたりは我慢できずに周囲にわめく。「勝手に俺についてくるな、おまえはおまえで上がってこい」と。それを観客は「おもしろい」と受け留める。

きっと、ふたりとも気づいてはいない。
彼らのいる空間全体が、パフォーマンスしてしまうことを。
見入る観客自体がまったく無意識に、〈疑い〉を手放し、個々に〈知〉のパフォーマンスをしてしまう。
ここに、社会という仕組みの妙(神秘・源)がある。

2007年12月19日水曜日

オーディオ音楽 2


まだまだ、CD制作に悩んでいる。
オーディオマニアのすごさに煽られて、何かできないものかと毎日考えている。オーディオマニアは車に凝る人と相当に似ている。車で言えばポルシェ、ロータススーパー7、あるいはロールスロイス等を乗り回している人とか。また、改造車で吹っ飛ばす人、豪華なキャンピングカーでお遍路する方、はたまたバイクのハーレー派やBMW派。それから、やっぱり〈機械〉をいじくりたい人がいる。そしてまた、これはどんなジャンルにも見られるが〈職人肌〉でこだわる人。
マニアはそれだけで面白い。その興味の持ち方に魅せられる。

一般公道で、いろんな車がその性能を異にしながら、一様に走っているさまをしばしば「面白いな」と思う。特に高速道路の渋滞の時、どの車もみな同じく 「ゆっくり」な走りに、じぶんはほくほく眺めてしまう。こんな感情は、裏返せば、単純に「いい車」に乗ってみたい、「いい車」に興味があるという自分なの だ。・・・・じぶんの現実の生活環境では満たしようのない「興味や関心」がどうにも湧いてくる。が、じぶんは「興味や関心」止まりで、実際、満たされなく てもいい。気にならない。あれば楽しむ、どうもその程度。なのに、なのに、参ったな!

いろんなことを考えながら、ようやく箇条書きが出来るようになった。
オーディオ機器にどうしてこれほどまでに能力の差があるのか。
オーディオ機器によって「音の質」、聞こえ方が違いすぎる。
オーディオ機器によって「音楽」のイメージに違いが起きる。
いわゆる「ナマ」を「再生・再現」するって、どういうこと?
アナログ音、デジタル音、MP3等の変化で、何が変化したの?
音楽をオーディオ機器で「聞く」のか、「聴く」のか?
等々。

ほんとうに、悩んでしまった。
結局は、箇条書き最後の〈聞くか、聴くか〉の判断が「こっち」と言えないことに。
これは、憲法でも言われる「生活の保障」のように、〈生きる〉ことと〈生きる手だて〉の両方が保証されなければ成り立たない。〈聴く〉には〈聞く〉環境も必要なのだ。生活を保障するためのさまざまな施策や環境整備には、時代や地域などにもよるが、それ相応のレベル(基準)がある。問題は「レベル(基準)」がどこに設けれるか。社会ではレベル設定がものすごく難しい。

レベル? そんなのあるわけないよ。それは「自然」に出来上がるんだ。いろんな要素が組み合って、特に人それぞれの関心や満足度と経済競争の度合いとで。分かるけど、そのぉ、〈最低限の生活〉保障ってのがあるでしょう? 実際には「無い」んじゃない。 難しいけどさ、〈ひとり〉でなく〈ふたり〉以上で、営むときに「レベル」って現れるんじゃないの。複数の「集団」的な営みが次第に無数に現れて、ある意味「階層」的になって、で「レベル」が、なんつうか〈自然〉に見えてくる(現れてくる)。社会の見えざる仕組みだな。これは。社会か?

・・・そんな問答を繰り返しながら、〈聴く〉ことにいかに傾斜してゆけるかを、まだ考えている。

2007年12月14日金曜日

オーディオ音楽

前回CD制作のために録音したことを記した。時流に乗ってパソコンを使い、精度が高いと言われる24bit/96kHzで録音した。それをCDプレスやさんに頼む前、CD規格( 16bit/44.1kHz )に変換し、まず試聴をして、一応じぶんなりに納得する作業に相当な日数を費やした。ステレオでじぶんの「音」がどのように再現できているか、あるいは再現しているかを〈じぶんなりに聴きわける〉ことはなんとも難しい。なにがって、 CDを再生するオーディオ機器によって「音」が違いすぎる。実は「音」の違い以前に、機器の音の再生能力に相当な優劣があることに、驚いた。「あれ、音が割れている」と気づいたときの慌てっぷり。気がつく限りの原因を考える。パソコン、パソコンまわりの機材、CDプレーヤー、アンプ、スピーカー、コード??? なんと時間のかかることか。何日かして、主にスピーカーの能力によって音割れの度合いが違うことに気づく。
CD制作やオーディオに少しでも関心のある方なら、普段に聞いているCDが、元の音源(録音)をオーディオ再生機器の能力に合うように前もって処理されていることを知っている。はじめてCD制作家の意義を知った。機器に適合する音に〈処理〉が加わったものをわたしたちは聞いているのだ。

さて、音割れの原因を探すために、持っているオーディオ機器を総動員し、三つのプレーヤー、四つのアンプ、五つのスピーカーをそれぞれ変えて聞いてみた。「もしかしたら機械がおかしいのでは?」と、素人は疑わざるを得ない。あっちで聞き、こっちで聞き、はたまた機器を組み替えて、このプレーヤーとあのアンプ、それからこっちのスピーカーをつないで。こうして、原因をつかんでゆく中、機器によって聞こえる「音」が異なることに気づく。音が堅い、音がなんか平べったい、低音が良く聞こえる、のびのある音だなぁ、等々。さらに、だんだん、この機器だとなんか焦って演奏してるように聞こえる、これは音楽と言うより音を聞いてる感じ、演奏の時とは違うイメージが出てくるな、等々。どうも機器から現れる音空間の違いが気になりだした。じぶんの気持ちがすっきりしない。そのうち、インターネットでオーディオマニアのホームページを見まくり始めた。どんなジャンルでも、マニアはすごい! 数日、虜になった。

結論、オーディオで聞く音楽は「オーディオ音楽」。「再生」とは言えない。
いかに「すばらしい生録音」であろうと、「録音を忠実に再現」とうたおうと、オーディオで聞く音楽は「オーディオ音楽」。

じぶんへの新しい問いかけが起きる。じぶんは「オーディオ音楽」を作りたかったのか? 何故、録音を思い立った? 何故、CD?

2007年12月5日水曜日

約二ヶ月ぶりに


やはり、と言うか。始めたばかりのブログなのに随分と長い間投稿できずにいた。
十月から十一月いっぱい、朝から夜中までギターを弾いていた。初めて11弦ギターでの演奏のみのCDを作ろうと決意したのが五月。それからいろいろ準備して、ようやく録音に入りはしたものの、マイクに向かっての演奏になれるまで相当に時間がかかってしまった。普通には誰しもそうだが、「耳」は聞こえる音は何でも聞こえてるようで聞こえていない。いかに自分の思いこみで楽器を奏していることかを、録音はしたたかに教えてくれる。慌てて気づいた音に注意して、また録音すると、今度は別の気になる音が其処に現れる。繰り返し、くりかえし。もちろん、「へぇー、こんな面白い弾き方をしてるのか」と良い気づきもあるが、大部分は自分の演奏にうんざり。そんな気持ちを自ら奮い立たせて、ようやく弾くことに自由さが現れたのは11月半ば。すると今度は、自宅録音のため外部からの予期せぬ音が演奏に進入! 犬の鳴き声、車の音、飛行機の音、はたまた市役所や警察からの市内放送、・・・が、これもいいことがあった、鳥の鳴き声があまり良いものだから、窓を開け放して、鳥の鳴き声以外は入らないことを祈りつつ、曲と共演してもらった。ライブばかりをしてきたじぶんには、途中何度もいやになってしまった。マイクだけに向かう演奏って何?と。
いわゆる普通の住宅の、普通の八畳間の空間での録音だが、自分には良い結果をもたらしてくれたと思っている。これがホールやスタジオであったら、奏する「音」はその目的空間の音響に左右され、奏者は無意識でもその空間にふさわしい音を出そうとするし、曲のイメージも音響空間に沿うことになる。ところが、自宅では、ある意味、外(屋外)で弾いてる同じくらいに、裸の音、楽器そのものの響きで奏する以外ない。すると楽器を弾くじぶんは、どうしても「音」に十分なイメージを持たない限りは、単純にただの演奏になるので、一音、一音にイメージを与えようと努力する。これは演奏家なら当たり前のようだが、意外にそのように一音一音を楽器の裸の状態の音から作ってる人は少ないと思う。経験的にも、いわゆるコンサートホールで公演すると、まずは音の響きが良いので、その響きの良さに乗る音を紡ごうと心がけるし、可能な限りのミスタッチを避けようと心がける。なにしろ響きが良いので。曲のイメージも聴き映えのする感じに仕立てようとする。ともかく、録音に終止符を打った。今はCDに落とす作業に入っている。自費出版なのでジャケットも作らなければならい。やることいっぱい! 一月早々の完成を目指している。

2007年10月15日月曜日

《空間》を踊る?

昨夜、NOISMの公演を観てきた。2階右サイドから観たからかもしれない、「空間」が気になった。ダンサーは無意識にも正面を気にしてるのかな? ダンサーは空間を動く。だが、その「空間」は踊るスペースとしてで、踊ることで現れる空間には感じられない。照明も装置も面白い。けれど、それらは踊るための〈仕掛け〉、空間のための〈仕掛け〉ではない?
改めて、難しい課題だなと思った。ダンス、身体表現は「身体」をみせることに尽きるのだろうか?それは大方、確かなこと。じぶんは「此所に在ること」が気になるタイプ。
装置としての舞台。演じる人と観る人とを区分けし、演じる人が空間を仕切る。
仕切るとは、創ること。
じぶんは新たな「舞台空間」を創ることがパフォーマンスだと考えている。
そのパフォーマンスのひとつに「ダンス」があると考える。
ダンスという身体表現はパフォーマンスの下位にある。
そこでは照明や装置もパフォーマンスだと考え、ダンスを支えるモノではなく、〈独自〉にその「空間」を創るものとして機能することを考える。もちろん音楽も。

音楽が音楽として聞こえて欲しい。
照明が光として見えて欲しい。
装置がそれ自体の存在としてはたらくことを分かって欲しい。
そして観客が、観客がいることで、この時間空間が出来ていることに気づいて欲しい、と。

昨夜はじぶんの方向を再確認させてくれた。
(写真・美谷島醇、ガラスアート・大村俊二)

2007年10月13日土曜日

CHIKARA WO

公演《 FORE 》に寄せて

hikari to tomoni
kaze to tomoni
motome yuku hito
CHIKARA wo umi tamae

hikari to tomoni
kaze to tomoni
motome yuku hito
CHIKARA wo sodate tamae

hikari to tomoni
kaze to tomoni
motome yuku hito
CHIKARA wo wakachi-ai tamae

hikari to tomoni
kaze to tomoni
motome yuku hito
CHIKARA wo
hikari ni kae
kaze ni kae
atarashii SORA to DAICHI wo tsukuri tamae

2004年《 Fore 》公演に寄せての詩。
この公演の後、ほぼ一年の放浪。
そこから再び普通の生活に戻るのに、また一年を要した。
自己の定めがたい生き様から何が現れてくれるのか?と、希望だけは消えない不思議。
少し寒くなり出して、身がシンとする。
(写真:安田善吉さん)

2007年10月5日金曜日

アート、アーティスト?

サウンドアーティストの藤本由紀夫さんが、次のようなことを記している。

芸術」と「アート」という言葉は、同等の意味を持っているのだろうか。
・・・・・・
「アーティスト」という言葉を日本語に訳すとどうなるのか?
「芸術家」なのか「美術家」なのか?
artを辞書で引いてみると「芸術」「美術」両方出てくる。
私達も日頃、アートという言葉を「芸術」「美術」を区別することなく使っている。
いわゆる「美術家」の人達にとっては、別に問題にすることではないかも知れないが、「音楽家」である私にとっては結構気になる問題である。
私は「芸術」を行っている意識はあるが「美術」を行っている意識は持ち合わせていない。だから、「アーティスト」ではあるが「美術家」ではない。
「芸術」と「美術」はどう違うのか?
「芸術」と「アート」は同じ意味なのか?
「美術」と「アート」は同じことなのか?
アーティストと肩書きの付いている人の日本語表記は「美術家」または「現代美術家」というのが多いように思える。「芸術家」と名乗る人はあまり見かけない。何故なのだろう?
ちなみに私の場合、「サウンド・アーティスト」の日本語表記は「音楽家」としている。


人は結構、使い慣れている「言葉」の語義を探りたいと思うときがある。ふと、どんな意味でその言葉は使われてるのかな? 語源を調べていって、とても意味がハッキリするときもあれば、ますます分からなくなるときもある。その分からない「言葉」を詮議しだすと、しばしば、じぶんの疑問を忘れてしまう。あげくには「言葉って何?」と、訳分からない世界にはまってしまうこともある。じぶんの場合特に。
大学時代、社会学でしょっちゅう「言葉」の概念規定を要求された。「言葉」は〈ある内容を集約しての意味で、「道具」として使われる〉のだと。だからひとつの「言葉」が学派によって、時には人によって異なる「意味」で表現されるから、「言葉」は共通だが共通ではない、と。これはとても大事。普通に一般化できる。「言葉」は人によって〈意味〉を同じくしない。

が、「言葉」は道具として使われるだけでなく、発語する〈じぶん〉そのものを表明したいためにも使われる。これがすごく面倒で難しい。「じぶんのいってることを分かってもらえない」と怒鳴ったり、つぶやいたりする。普段の生活では、「言葉は人によって〈意味〉を同じくしない」とは、自己表明を分かってもらえないとき。そして、「言葉」に疑問を持つときの心理は、大方、じぶんの感情面から現れる不安を抱いたときのように思える。ここでの「言葉」の意味は自己存在の確認であり、自己を代弁する目的にある。今日の大きな問題であるが、いつの時代もそうだったに違いない。

「言葉」はたった二つの要素で出来てるように思う。
道具と自己表明。

ところが、《詩的言語》という言い方がある。
「詩」で表現される「言葉」は、誰もが使える道具としての「言葉」でもなければ、自己表明としての言葉でもない、と。
「詩」で表現される「言葉」は、〈意味〉ではなく〈世界〉を現す。
「詩」は「言葉」を使いながら、「言葉」を無くす。そこに立ち現れるのは世界。
〈立ち現れる〉、〈世界〉?

以下は、95年に記した文章です。
・・・・・
詩人は「観る」ことに専心します。私どもの生活は外界への対処・対応が必然ですし当たり前ですが、詩人はあたかも赤子のように対処・対応する世界である「生活」を観、享受し、言語に置換します。詩とよばれる言語に置換された「生活」が一詩人の生活経験を越えて、ある透明な、かつ具象な体験に成りうるのは一重に詩人の「観る」作業によります。

詩人が詩人足りうるのは「観る」作業と同時並行して「観ている自分自身を観る」ところにあり、「自分を観る」作業の透徹さが詩人を至高の芸術家にしているものと思います。
「自分を観る」、言い替えれば「意識の創造」と言えます。

人間の営みの一つとしての芸術行為に問いかけを発したのは今世紀・20世紀です。周知の通り、絵画のダダ・シユールレアリズム旋風はそれまでの西洋の芸術観にあらゆる疑問符を投げかけました。そして初めて、「芸術(芸術行為)とは何か?」と行為そのものを問いました。この問いかけは丁度今世紀百年の、いわゆるヨーロッパ列強を基軸にした、世界情勢の混乱や世界の経済的・時間的狭小化に機を一にしております。

一般に、芸術は感性や感受性また感覚に秀でた人によって創られると見傲されています。しかしシユールレアリズム展に出品したデユシヤンの『泉』(便器)に見るような、その作品そのものに本人のいかなる手も加えられていない「モノ」に対して「芸術」を感得させられるとき、私たちはいやが上にも芸術を成り立たせているはずの感性・感受性・感覚以外の人間の能力に思いを馳せざるを得ません。断るまでもなく、これは第六感と呼ばれる類のものではありません。当然に時代や世相に反映した「解釈」による芸術ではありません。デユシヤンの作品に観えた「芸術」はデユシヤンの「意識」であったのです。

芸術とは何か?それは「意識とは何か?」と同じ問いかけであることに気づきます。そして今日、芸術とよばれる生活行為をする人も、芸術の生活行為を観る人も、自らの行為すなわち意識に目覚め、自らの意識を創っていくことが目指されているものと思います。

芸術は一人ひとりが「詩人」になっていく場と時間を共有することのように思います。
・・・・・


〈世界〉とは〈じぶんの意識〉。
〈立ち現れる〉のは〈新たな〉じぶんの意識。
どうでしょうか? ここで、「アート」も「芸術」も、共通の意味をもつのではないでしょうか? アートが美術、アーティストが美術家を主に示すのも納得がいきます。美術は「意識」の視覚化なのだから。芸術や芸術家という日本語の意味する由縁も分かるような気がします。
じぶんは、「アート・芸術」を〈じぶんの新たな意識の表出をなにがしかの形にする作業行為〉と思っています。





2007年9月30日日曜日

森山開次への期待。あるいは〈音楽と舞踊〉について。

朝日新聞に[カナダ生まれのチェリスト、ジャンギアン・ケラスが、ダンサー森山開次をゲストに迎え、バッハの「無伴奏チェロ組曲」を中心にコラボレートする。]、と載っていた。ダンサー・森山開次を知ったのは数年前。彼の経歴や言葉・宣伝や公演写真に、「ようやく現れたな、こういうダンサーが」と嬉しくなった。が、まだ公演を観たことはない。映画「茶の味」で、彼の基本形を観た感がする。

「ケラスは、森山の映像を見て、野獣のような激しさと詩的な味わいの同居に驚いたという。 」と。音楽家からダンサーへの依頼はほんとうに珍しい。ダンサーから音楽家(演奏家)に出演依頼するのは珍しくない。(といっても、舞踊公演で生の演奏は、近年増えてはいるが少ない。)
十年以上前、チェリスト・ヨー・ヨーマが坂東玉三郎に声をかけ共演した。じぶんは観ていない。が、新聞紙上で公演をしったとき「やられた!」と思った。当代の天才と呼ばれるふたりの「演者」が舞台空間を創る。じぶんは、じぶんが思い描いてきた空間が立ち現れることを夢想し、嫉妬した。「その時、其処でしか現れない《創作》が生まれる」と。
コラボレーションをする人は、其処に新たな創作が生まれることを期待して企画する。が、実際は其処に新たな創作が生まれることは稀である。圧倒的には「セッション」、互いの技や芸の掛け合いになる。演者たち自身が、創作とセッションとを同意にしてるものが多い。
かなり以前、京都・清水寺で、中村扇雀が笛の藤舎名生とトランペットの日野輝正と共演したのをビデオで観た。観ていたとき、扇雀は笛との掛け合いを断ち、いったん退き、改めて舞台に「扇雀」そのもので空間をひるがえす場面に出くわした。すごいと思った。瞬間、演者三人が屹立したと見えたから。

2001年1月に、じぶんは以下の文を記している。
・・・わたし自身が長い間音楽表現に関わり、その後舞踊表現に変わって来た経緯から、舞踊と音楽の関係はわたしにとって大きな課題でした。この十年の舞踊公演のほとんどで、生演奏を、つまり音楽家とともに舞台を創って来ました。
一般に、ダンサーにとってなにがしかの「音」の存在は、音があるというそれだけで拠り所になります。これは決して過言ではない事実です。この事実は生演奏をする共演者にもあてはまります。踊り手がいる、それだけで「音」は表れるのです。しかしこの両者の存在の触発関係は残念ながら互いの依存関係に陥り、創造という行為から離れてしまいがちです。
わたしはわたしの公演で、わたし自身が演奏に寄り添うことを頑なに拒否し、同時にわたしに寄り添った演奏をも拒否して来ました。そして言葉で言えば、舞踊も音楽もそれぞれに独立しながら舞台に共存することを求めて来ました。・・・
上記の思いをいつも抱きながら公演をしてきたが、実際に創造空間が現れてくれたことは幾つかしかない。もちろん音楽家だけの責任ではない、じぶんの力量にもよる。
ところで、「創造空間」って? また「その時、その場での創作」って?
「音」が聞こえなくなる、「舞い」が見えなくなる。
あるいは「音」が色や形に見える、「舞い」が空気や音として感じる。
そこには《「ひと」という演者がいる》。そこには《空間》だけがある。
《時》は流れる、経過する。
在るのは《体験》、《記憶》。
《ひと》の新たな行為が生まれる(現れる)。・・・
じぶんの思う「創造、創作」。
あるひとが「芸術とは、人間とはどういうものかを感得させてくれるもの」と言っていたが、「新たな人間の発見、未知なる人間の質の発見」が創作の中身だと思っている。」

舞台で演者が互いに独立しながら共存すること、それ自体、結構難しい。相当に前のこと、作曲家・武満徹は著作の中で、「尺八の名手・海童道(わだつみどう)の演奏をスキヤキを囲みながら聴いていたら、スキヤキの煮える音が心地よく、しかも演奏と対等な音だった」という内容を述べていた。また、日本の伝統・能は舞い手、謡い、囃子が独立した演者として舞台にいることを求める。武道、特に植芝盛平が創始した合気道では「互いが独立しながら其処に在る、関係の状態」に至る修練をする。
日本人には「独立共存」の様態を知り、文化の基底に持ち、思想に潜んでいる。
西洋人や西洋文化があこがれる日本の伝統のひとつだと思う。
多くの西洋的手法で作られる「公演」に生かすべきではないか。

もちろん、すでに試みられている。日本舞踊をする人たち、能の囃子方の人たち等。
しかし、私見だが、まだ「創作」の現場に立ち会えていない。
じぶんも含め、これからだと思う。

上記2001年に記した文の一連、
・・・ダンサーにとっての「音」とは? また音楽関係者にとっての踊り手の存在は?
きわめて抽象的表現になるが、舞踊と音楽の関係は物理的空間の中で、粒子と波の相乗効果を作る関係に似る。私たち人間の存在は、意志と感情をベースにした意識で成り立っている。
大雑把な言い方だが、意志と粒子、感情と波、それぞれに同意の概念を持っているように思う。そして、舞踊=意志・粒子、音楽=感情・波というモデルも作れるように思う。このモデルは少しく考えを巡らせば納得いただけるのではないか。・・・
・・・舞踊も音楽も独立した表現であり、それぞれ意志と感情とから成り立っている。が、その空間に現れ出るもの、またそれを享受する者には、間違いなく異なったウエイトを持っている。
身体表現や舞踊に期待されるものは「意志」表現の在りようと思えてならない。それゆえ、大部分の音楽関係者は身体表現や舞踊を「表現の基礎」として認識し気にしている。また舞踊家は自身の意思表示のバックグラウンド(感情の位置)として音楽に頼っていることを認識している。
このウエイトの違いを自覚しつつ、互いに交流出来たらと、わたしは思う。・・・

そして互いが互いの意識に潜入し、交感し、
「音」が色や形の動に、「舞い」が空気や音に。
〈音が舞いに〉なり、〈舞いが音〉になれたら、すごい!
音楽家が舞い手になるのではなく、舞い手が音楽家になるのでもない。
奏する音が舞い、踊る舞いが奏する、交感。
其処から、新しい創造が生まれる。

つい三ヶ月前、笠井叡 がピアニスト・高橋 悠治と公演したのは嬉しいトピックだった。
森山開次と ケラスのコラボレーションに期待する。
もっと、音楽家から舞踊家にオファーがあるように!

(写真はピアニスト・フェビアン・レザ・パネさんとの共演)

2007年9月28日金曜日

ことば について





   空は 青く ・・・

あ・お・い・そ・ら
ことばが記す
だれのものでもない ことばが
わたしを道具に わたしを倉に
aoi sora を貯蔵する

まるでじぶんの肉体を護るように
ひとは ことばを占有する
あ・お・い・そ・ら

ことばは 思考する
・・・考える?
・・・選ぶ?
・・・創る?
      ・・・何を?
・・・ことば?
・・・わたし?

世界は 変化
変化
わたしは 変化

在るのは ことば
変化を止める ことば
ことばは 永遠に、空を青くする
ことばは わたしを、永遠にする

空 それはわたし
青い それはわたし

2007年9月26日水曜日

じぶんの「公演」の特徴


舞台表現はまだまだ額縁の中にいる。
我々は既存の舞台でも舞台からはみでる。
我々は、見せる行為、演ずる行為をしない。
我々はひたすらに、我々自身の中から今この瞬間に生まれでるものに従い、我々自身が我々を観察する観察者となり、そして新たに直感が生ぜ示す思考に従い、この瞬間に生まれでるものに重力を与え、我々の行為を形成する。
我々は、我々の行為に立ち会う人たちに鑑賞を望まない。我々は額縁の舞台には立っていないのだから。我々の無意識世界からの希求として、人は我々の行為からそれぞれに内的衝動を起こし、内的思考を贔屓(ひいき)し、そしてその空間と時点において、一人ひとりが創作者にならんことを具現する。

上記の勢いある言葉は、2001年に記したもの。
芸術って何? パフォーマンスって何? 公演を持つようになってから、ずうっと自身に問いかけて来た。そして気がつけば、じぶんは舞台上の演者と観客の習慣化したヒエラルキーを取り払うようなことばかりしていた。ただし、この問いかけとこれまでの公演はじぶんの「体質」から現れるべくして現れたと思う。「じぶん」という存在を特殊な存在、別の言葉では「何かを見せる」という存在にできないタイプ。舞台上で演じるという行為をしているじぶんは、奇妙に思われるかもしれないが、「いまじぶんは何してる?」と逐一に問いかけながら演じるのだから。演じることと、問いかけ(「じぶんを観る」と言ってもいいが)との二つの意識が同時並行する。このじぶんのありようは、ある《隙間》を生む。観客は舞台を観ながら、不思議なことに、この《隙間》を無意識に捕らえ、その《隙間》があるために、「観ているじぶんを観る」こともするようになる。どうやら、そんなことが起きるらしい。そうして、観客は舞台上の演者とは別のストーリーを創りながら公演に参加する。
言葉足らずだが、じぶんの公演の特徴だと思っているし、また公演がお客様にそのような体験の空間時間であってくれたらと思っている。(写真:内藤正敏氏の撮影)

2007年9月24日月曜日

身体感覚01


   香る
手をのばし中指の先の軒の向こう
 隣家を透かして道行く人の耳に届くさえずりの
 鳥たちが住まう林に陽す光とともに
 ないだ風をつくる海辺まで
 健やかに、バラの花     (94年 記)

舞台という空間が特殊なのか、舞台に上がるじぶんが特殊になるのか、感覚は研ぎ澄まされる。
が、ときどき思う。普段には、舞台上でのあの感覚を使ってないのだろうか? 使ってないのではなく、使っていることに気づいてないのではないか?
舞台では、気分、あるいは意識、さらには精神などを統合した「からだ」が、じぶんでも想像だにしなかった極上の感覚に目覚めるのかもしれない。

2007年9月22日土曜日

公演、あるいは舞台表現


気がつけば、舞台表現をはじめてから三十年近くになる。
はじめて人前に立ったのは、埼玉・志木ニュータウンの集会所。わずか三分足らずのギター演奏だった。からだはふるえ、汗だくだく。「ソリストってすごいことをしている」と思った。それからしばらく、目標を人前に居れる時間を延ばすことに置いた。約三年かけて、ようよう、三十分の時間を維持できるようになり、ここまでくれば一人で舞台をやれると思った。以後、ソロ活動を続ける。
このブログでは、舞台、表現、身体等についてのじぶんの思いを記してみたい。また、自分の活動を改めて振り返っても観たい。
たった一人の聴衆の時もあれば、一万人の聴衆の前に立つこともあった。
小さなお好み焼き屋さんもあれば、総合体育館も、またどしゃ降りの仮説舞台や能舞台もあった。
そして、ほんとうにたくさんの方に出会えてきた。