2007年9月30日日曜日

森山開次への期待。あるいは〈音楽と舞踊〉について。

朝日新聞に[カナダ生まれのチェリスト、ジャンギアン・ケラスが、ダンサー森山開次をゲストに迎え、バッハの「無伴奏チェロ組曲」を中心にコラボレートする。]、と載っていた。ダンサー・森山開次を知ったのは数年前。彼の経歴や言葉・宣伝や公演写真に、「ようやく現れたな、こういうダンサーが」と嬉しくなった。が、まだ公演を観たことはない。映画「茶の味」で、彼の基本形を観た感がする。

「ケラスは、森山の映像を見て、野獣のような激しさと詩的な味わいの同居に驚いたという。 」と。音楽家からダンサーへの依頼はほんとうに珍しい。ダンサーから音楽家(演奏家)に出演依頼するのは珍しくない。(といっても、舞踊公演で生の演奏は、近年増えてはいるが少ない。)
十年以上前、チェリスト・ヨー・ヨーマが坂東玉三郎に声をかけ共演した。じぶんは観ていない。が、新聞紙上で公演をしったとき「やられた!」と思った。当代の天才と呼ばれるふたりの「演者」が舞台空間を創る。じぶんは、じぶんが思い描いてきた空間が立ち現れることを夢想し、嫉妬した。「その時、其処でしか現れない《創作》が生まれる」と。
コラボレーションをする人は、其処に新たな創作が生まれることを期待して企画する。が、実際は其処に新たな創作が生まれることは稀である。圧倒的には「セッション」、互いの技や芸の掛け合いになる。演者たち自身が、創作とセッションとを同意にしてるものが多い。
かなり以前、京都・清水寺で、中村扇雀が笛の藤舎名生とトランペットの日野輝正と共演したのをビデオで観た。観ていたとき、扇雀は笛との掛け合いを断ち、いったん退き、改めて舞台に「扇雀」そのもので空間をひるがえす場面に出くわした。すごいと思った。瞬間、演者三人が屹立したと見えたから。

2001年1月に、じぶんは以下の文を記している。
・・・わたし自身が長い間音楽表現に関わり、その後舞踊表現に変わって来た経緯から、舞踊と音楽の関係はわたしにとって大きな課題でした。この十年の舞踊公演のほとんどで、生演奏を、つまり音楽家とともに舞台を創って来ました。
一般に、ダンサーにとってなにがしかの「音」の存在は、音があるというそれだけで拠り所になります。これは決して過言ではない事実です。この事実は生演奏をする共演者にもあてはまります。踊り手がいる、それだけで「音」は表れるのです。しかしこの両者の存在の触発関係は残念ながら互いの依存関係に陥り、創造という行為から離れてしまいがちです。
わたしはわたしの公演で、わたし自身が演奏に寄り添うことを頑なに拒否し、同時にわたしに寄り添った演奏をも拒否して来ました。そして言葉で言えば、舞踊も音楽もそれぞれに独立しながら舞台に共存することを求めて来ました。・・・
上記の思いをいつも抱きながら公演をしてきたが、実際に創造空間が現れてくれたことは幾つかしかない。もちろん音楽家だけの責任ではない、じぶんの力量にもよる。
ところで、「創造空間」って? また「その時、その場での創作」って?
「音」が聞こえなくなる、「舞い」が見えなくなる。
あるいは「音」が色や形に見える、「舞い」が空気や音として感じる。
そこには《「ひと」という演者がいる》。そこには《空間》だけがある。
《時》は流れる、経過する。
在るのは《体験》、《記憶》。
《ひと》の新たな行為が生まれる(現れる)。・・・
じぶんの思う「創造、創作」。
あるひとが「芸術とは、人間とはどういうものかを感得させてくれるもの」と言っていたが、「新たな人間の発見、未知なる人間の質の発見」が創作の中身だと思っている。」

舞台で演者が互いに独立しながら共存すること、それ自体、結構難しい。相当に前のこと、作曲家・武満徹は著作の中で、「尺八の名手・海童道(わだつみどう)の演奏をスキヤキを囲みながら聴いていたら、スキヤキの煮える音が心地よく、しかも演奏と対等な音だった」という内容を述べていた。また、日本の伝統・能は舞い手、謡い、囃子が独立した演者として舞台にいることを求める。武道、特に植芝盛平が創始した合気道では「互いが独立しながら其処に在る、関係の状態」に至る修練をする。
日本人には「独立共存」の様態を知り、文化の基底に持ち、思想に潜んでいる。
西洋人や西洋文化があこがれる日本の伝統のひとつだと思う。
多くの西洋的手法で作られる「公演」に生かすべきではないか。

もちろん、すでに試みられている。日本舞踊をする人たち、能の囃子方の人たち等。
しかし、私見だが、まだ「創作」の現場に立ち会えていない。
じぶんも含め、これからだと思う。

上記2001年に記した文の一連、
・・・ダンサーにとっての「音」とは? また音楽関係者にとっての踊り手の存在は?
きわめて抽象的表現になるが、舞踊と音楽の関係は物理的空間の中で、粒子と波の相乗効果を作る関係に似る。私たち人間の存在は、意志と感情をベースにした意識で成り立っている。
大雑把な言い方だが、意志と粒子、感情と波、それぞれに同意の概念を持っているように思う。そして、舞踊=意志・粒子、音楽=感情・波というモデルも作れるように思う。このモデルは少しく考えを巡らせば納得いただけるのではないか。・・・
・・・舞踊も音楽も独立した表現であり、それぞれ意志と感情とから成り立っている。が、その空間に現れ出るもの、またそれを享受する者には、間違いなく異なったウエイトを持っている。
身体表現や舞踊に期待されるものは「意志」表現の在りようと思えてならない。それゆえ、大部分の音楽関係者は身体表現や舞踊を「表現の基礎」として認識し気にしている。また舞踊家は自身の意思表示のバックグラウンド(感情の位置)として音楽に頼っていることを認識している。
このウエイトの違いを自覚しつつ、互いに交流出来たらと、わたしは思う。・・・

そして互いが互いの意識に潜入し、交感し、
「音」が色や形の動に、「舞い」が空気や音に。
〈音が舞いに〉なり、〈舞いが音〉になれたら、すごい!
音楽家が舞い手になるのではなく、舞い手が音楽家になるのでもない。
奏する音が舞い、踊る舞いが奏する、交感。
其処から、新しい創造が生まれる。

つい三ヶ月前、笠井叡 がピアニスト・高橋 悠治と公演したのは嬉しいトピックだった。
森山開次と ケラスのコラボレーションに期待する。
もっと、音楽家から舞踊家にオファーがあるように!

(写真はピアニスト・フェビアン・レザ・パネさんとの共演)

2007年9月28日金曜日

ことば について





   空は 青く ・・・

あ・お・い・そ・ら
ことばが記す
だれのものでもない ことばが
わたしを道具に わたしを倉に
aoi sora を貯蔵する

まるでじぶんの肉体を護るように
ひとは ことばを占有する
あ・お・い・そ・ら

ことばは 思考する
・・・考える?
・・・選ぶ?
・・・創る?
      ・・・何を?
・・・ことば?
・・・わたし?

世界は 変化
変化
わたしは 変化

在るのは ことば
変化を止める ことば
ことばは 永遠に、空を青くする
ことばは わたしを、永遠にする

空 それはわたし
青い それはわたし

2007年9月26日水曜日

じぶんの「公演」の特徴


舞台表現はまだまだ額縁の中にいる。
我々は既存の舞台でも舞台からはみでる。
我々は、見せる行為、演ずる行為をしない。
我々はひたすらに、我々自身の中から今この瞬間に生まれでるものに従い、我々自身が我々を観察する観察者となり、そして新たに直感が生ぜ示す思考に従い、この瞬間に生まれでるものに重力を与え、我々の行為を形成する。
我々は、我々の行為に立ち会う人たちに鑑賞を望まない。我々は額縁の舞台には立っていないのだから。我々の無意識世界からの希求として、人は我々の行為からそれぞれに内的衝動を起こし、内的思考を贔屓(ひいき)し、そしてその空間と時点において、一人ひとりが創作者にならんことを具現する。

上記の勢いある言葉は、2001年に記したもの。
芸術って何? パフォーマンスって何? 公演を持つようになってから、ずうっと自身に問いかけて来た。そして気がつけば、じぶんは舞台上の演者と観客の習慣化したヒエラルキーを取り払うようなことばかりしていた。ただし、この問いかけとこれまでの公演はじぶんの「体質」から現れるべくして現れたと思う。「じぶん」という存在を特殊な存在、別の言葉では「何かを見せる」という存在にできないタイプ。舞台上で演じるという行為をしているじぶんは、奇妙に思われるかもしれないが、「いまじぶんは何してる?」と逐一に問いかけながら演じるのだから。演じることと、問いかけ(「じぶんを観る」と言ってもいいが)との二つの意識が同時並行する。このじぶんのありようは、ある《隙間》を生む。観客は舞台を観ながら、不思議なことに、この《隙間》を無意識に捕らえ、その《隙間》があるために、「観ているじぶんを観る」こともするようになる。どうやら、そんなことが起きるらしい。そうして、観客は舞台上の演者とは別のストーリーを創りながら公演に参加する。
言葉足らずだが、じぶんの公演の特徴だと思っているし、また公演がお客様にそのような体験の空間時間であってくれたらと思っている。(写真:内藤正敏氏の撮影)

2007年9月24日月曜日

身体感覚01


   香る
手をのばし中指の先の軒の向こう
 隣家を透かして道行く人の耳に届くさえずりの
 鳥たちが住まう林に陽す光とともに
 ないだ風をつくる海辺まで
 健やかに、バラの花     (94年 記)

舞台という空間が特殊なのか、舞台に上がるじぶんが特殊になるのか、感覚は研ぎ澄まされる。
が、ときどき思う。普段には、舞台上でのあの感覚を使ってないのだろうか? 使ってないのではなく、使っていることに気づいてないのではないか?
舞台では、気分、あるいは意識、さらには精神などを統合した「からだ」が、じぶんでも想像だにしなかった極上の感覚に目覚めるのかもしれない。

2007年9月22日土曜日

公演、あるいは舞台表現


気がつけば、舞台表現をはじめてから三十年近くになる。
はじめて人前に立ったのは、埼玉・志木ニュータウンの集会所。わずか三分足らずのギター演奏だった。からだはふるえ、汗だくだく。「ソリストってすごいことをしている」と思った。それからしばらく、目標を人前に居れる時間を延ばすことに置いた。約三年かけて、ようよう、三十分の時間を維持できるようになり、ここまでくれば一人で舞台をやれると思った。以後、ソロ活動を続ける。
このブログでは、舞台、表現、身体等についてのじぶんの思いを記してみたい。また、自分の活動を改めて振り返っても観たい。
たった一人の聴衆の時もあれば、一万人の聴衆の前に立つこともあった。
小さなお好み焼き屋さんもあれば、総合体育館も、またどしゃ降りの仮説舞台や能舞台もあった。
そして、ほんとうにたくさんの方に出会えてきた。