2007年9月26日水曜日

じぶんの「公演」の特徴


舞台表現はまだまだ額縁の中にいる。
我々は既存の舞台でも舞台からはみでる。
我々は、見せる行為、演ずる行為をしない。
我々はひたすらに、我々自身の中から今この瞬間に生まれでるものに従い、我々自身が我々を観察する観察者となり、そして新たに直感が生ぜ示す思考に従い、この瞬間に生まれでるものに重力を与え、我々の行為を形成する。
我々は、我々の行為に立ち会う人たちに鑑賞を望まない。我々は額縁の舞台には立っていないのだから。我々の無意識世界からの希求として、人は我々の行為からそれぞれに内的衝動を起こし、内的思考を贔屓(ひいき)し、そしてその空間と時点において、一人ひとりが創作者にならんことを具現する。

上記の勢いある言葉は、2001年に記したもの。
芸術って何? パフォーマンスって何? 公演を持つようになってから、ずうっと自身に問いかけて来た。そして気がつけば、じぶんは舞台上の演者と観客の習慣化したヒエラルキーを取り払うようなことばかりしていた。ただし、この問いかけとこれまでの公演はじぶんの「体質」から現れるべくして現れたと思う。「じぶん」という存在を特殊な存在、別の言葉では「何かを見せる」という存在にできないタイプ。舞台上で演じるという行為をしているじぶんは、奇妙に思われるかもしれないが、「いまじぶんは何してる?」と逐一に問いかけながら演じるのだから。演じることと、問いかけ(「じぶんを観る」と言ってもいいが)との二つの意識が同時並行する。このじぶんのありようは、ある《隙間》を生む。観客は舞台を観ながら、不思議なことに、この《隙間》を無意識に捕らえ、その《隙間》があるために、「観ているじぶんを観る」こともするようになる。どうやら、そんなことが起きるらしい。そうして、観客は舞台上の演者とは別のストーリーを創りながら公演に参加する。
言葉足らずだが、じぶんの公演の特徴だと思っているし、また公演がお客様にそのような体験の空間時間であってくれたらと思っている。(写真:内藤正敏氏の撮影)

1 件のコメント:

macoto さんのコメント...

>観客は舞台を観ながら、不思議なことに、この《隙間》を無意識に捕らえ、、、
の文ですが、

「隙間」が観客には「余白」に感じているように思います。
あえて白く残していると。で、なんでこうなのかを考える部分が「観ているじぶんを観る」錯覚に陥るのだと思います。
で、ある人は瞑想みたいな感じで温泉に行った気分と言い。ある人は疲れると。。

観る人の想像力にゆだねている事も含め、
前も伝えたと思うけど「リ・ウファン」の余白の芸術の舞台バージョンだと思います。