2008年4月20日日曜日

CD「 The Air 」について



今春、ようやく仕上がった自作CDのこと。上の写真はじぶんで作ったジャケットデザイン。デザインとは言えないかもしれない。安田善吉さんの元写真を加工し、レイアウトした程度。本人は気に入っている。

以下の言葉は、CD制作の出来上がりを知人にできればご購入をと、葉書に印刷した文章です。

弾き語りで愛用してきた11弦ギターが初めて檜舞台にでました。
曲はこれまで弾き語りに付していたものを
改めてギター曲に手直ししたもの、
また11弦という特殊な楽器を少しく意識して
新たに作曲したもの、
さらに11弦ギターの原型である
リュートの為に作られたオリジナル曲を一曲
皆さまにお聴きいただけますようご案内申し上げます。
『 The Air 』収録曲目
1 むかし( in old times )
2 やまなし(宮沢賢治の「やまなし」の為に)
3 森の中で(風と、月の光)
4 ゆき(雪、古風な信仰、碧)
5 車窓から(宮沢賢治の詩「電車」に寄せて)
6 エレジー(草野心平の詩「エレジー」に寄せて)
7 Fortune/John Dowland
8 高原(宮沢賢治の詩「高原」に寄せて)
9 WILL
10 おやすみ

それから、CDに同梱した文章は・・・
《 The Air 》… 自叙伝的、一枚のCD
 「だれでも生涯に一冊の小説は書ける」と言います。その言葉通り、ミュージシャンでもプレーヤーでもないわたしがここに一枚のCDを制作しました。ギターという楽器を手にし、人前で演奏し、しかもそれで日々の糧を得る年月を重ねながら、一度も「じぶんは音楽家・演奏家である」と思ったことはありません。
 以前、公演終了後に「出来てなんぼ、の世界でしょ!」と、わたしの拙い演奏に批判された方がいました。その言葉の意味を理解しつつ、「わたしは言われる意味での演奏はしていません」と応えました。わたしは「出来てなんぼの世界」を認めれずに生きてきました。と言うか、人間一人ひとりの能力や能力差を認めるけど、個々の能力や能力差を「価値観」に換言する考え方を認めれません。
 またその時、「わたしはわたし自身を語るために演奏しています。」と応えました。わたしの本領は大言壮語、大ほら吹き。どうも理解しづらいことを「ことば」に託す癖があります。
「わたし自身をかたる」とは「わたし」を借りて「人間自身をかたる」と思うのです。
どういう訳か、物心ついた頃から〈人間・ひと〉の不思議さに包まれて来ました。じぶん自身のすることなすことが不思議、周囲の人たちのさまざまな行為やすばらしい能力の発揮に驚いてばかり。本当に、人間てなんだろう? って思ってきました。
 いつしか、わたし自身・人間を探る行為そのものがわたしの「表現」、「生き様」になって、今日に至っています。またまた理解しづらい言い方ですが、行為の結果としての「表現」ではなく、行為そのもの、たった今進行中の行為。軌跡の先端にいるじぶん。「即興」という言葉で言われる表現の、可能な限りの中核を目指した行為。が、その行為は同時的に、自身への問いかけ「わたし(人間)は何をしてる?」が随伴しています。
 「生きる」と「生きている」とを可能な限りに交叉させること。
〈行為〉は、わたしと世界との交流そのもの。
「生きる」わたしと、世界の中に「生きている」わたしがいる。
自身への問いかけ「わたし(人間)は何をしてる?」は、世界の中にいるじぶん、そのことの不思議さへの対応ではないでしょうか。
 おそらく、「自叙伝」は世界の中にいる(世界の一員である)じぶんを記すことと思います。
CD《 The Air 》は、「世界」への感謝と祈り。
2004年 4月からほぼ一年の放浪、その後の模索、昨年一年かけてCD制作。
そしてたった今、CDに添えることばとして現れてくれた「ことば」を記します。
                       2008年 2月 いっしゅう(一鷲)


じぶんの行為(ことば)は、いつも経過途中にある。結論的に見えながら、途中経過である。
録音したギター演奏も同じで、録音時点での演奏である。良くも悪くも。そして、CD化するための音源操作も、その時点での環境に応じたものである。いわゆる商品化する(製品化する)ノーハウを持ち合わせてやっていない。
自分も含め、このCDを聴くときに初めて、聴く行為とともに起きるであろう「感慨・想い」が曲あるいは演奏を作る。これは大言壮語ではない。何故とて、じぶんは「結果」を意識した演奏をしていないから。「途次」にある演奏だから。厳密な意味で「即興」と言って良いと思う。もちろん、一曲の収録に数十回もやり直しをしているし、何度も自身の弾き方に呆れ、諦めかけたり。それでもその録音の最中、「こんな演奏を」とのイメージはない。イメージを持てない。その時点の「現れ」に応じたか否かが決め手でしかなかった。