2007年12月19日水曜日

オーディオ音楽 2


まだまだ、CD制作に悩んでいる。
オーディオマニアのすごさに煽られて、何かできないものかと毎日考えている。オーディオマニアは車に凝る人と相当に似ている。車で言えばポルシェ、ロータススーパー7、あるいはロールスロイス等を乗り回している人とか。また、改造車で吹っ飛ばす人、豪華なキャンピングカーでお遍路する方、はたまたバイクのハーレー派やBMW派。それから、やっぱり〈機械〉をいじくりたい人がいる。そしてまた、これはどんなジャンルにも見られるが〈職人肌〉でこだわる人。
マニアはそれだけで面白い。その興味の持ち方に魅せられる。

一般公道で、いろんな車がその性能を異にしながら、一様に走っているさまをしばしば「面白いな」と思う。特に高速道路の渋滞の時、どの車もみな同じく 「ゆっくり」な走りに、じぶんはほくほく眺めてしまう。こんな感情は、裏返せば、単純に「いい車」に乗ってみたい、「いい車」に興味があるという自分なの だ。・・・・じぶんの現実の生活環境では満たしようのない「興味や関心」がどうにも湧いてくる。が、じぶんは「興味や関心」止まりで、実際、満たされなく てもいい。気にならない。あれば楽しむ、どうもその程度。なのに、なのに、参ったな!

いろんなことを考えながら、ようやく箇条書きが出来るようになった。
オーディオ機器にどうしてこれほどまでに能力の差があるのか。
オーディオ機器によって「音の質」、聞こえ方が違いすぎる。
オーディオ機器によって「音楽」のイメージに違いが起きる。
いわゆる「ナマ」を「再生・再現」するって、どういうこと?
アナログ音、デジタル音、MP3等の変化で、何が変化したの?
音楽をオーディオ機器で「聞く」のか、「聴く」のか?
等々。

ほんとうに、悩んでしまった。
結局は、箇条書き最後の〈聞くか、聴くか〉の判断が「こっち」と言えないことに。
これは、憲法でも言われる「生活の保障」のように、〈生きる〉ことと〈生きる手だて〉の両方が保証されなければ成り立たない。〈聴く〉には〈聞く〉環境も必要なのだ。生活を保障するためのさまざまな施策や環境整備には、時代や地域などにもよるが、それ相応のレベル(基準)がある。問題は「レベル(基準)」がどこに設けれるか。社会ではレベル設定がものすごく難しい。

レベル? そんなのあるわけないよ。それは「自然」に出来上がるんだ。いろんな要素が組み合って、特に人それぞれの関心や満足度と経済競争の度合いとで。分かるけど、そのぉ、〈最低限の生活〉保障ってのがあるでしょう? 実際には「無い」んじゃない。 難しいけどさ、〈ひとり〉でなく〈ふたり〉以上で、営むときに「レベル」って現れるんじゃないの。複数の「集団」的な営みが次第に無数に現れて、ある意味「階層」的になって、で「レベル」が、なんつうか〈自然〉に見えてくる(現れてくる)。社会の見えざる仕組みだな。これは。社会か?

・・・そんな問答を繰り返しながら、〈聴く〉ことにいかに傾斜してゆけるかを、まだ考えている。

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