2008年12月14日日曜日

「 Ku Holo Mau 」公演を終えて

あっという間に公演は終わった。
五年ぶりの自主公演はどんなだったろうか?・・・これまでになく、普通!
という、実感。きりきりした理論も、見えない壁に刃向かう挑戦もなかった。
それは確かにタイトル通り「 Ku Holo Mau 」、
原初へのいざないだった。

いま、レヴィナス著『困難な自由』を読み続けている。
一日に数行、時に20ページくらい、ゆっくりゆっくり。こんなに間を置きながら読んだことは今までない。ふしぎ!
本を読むとき、じぶんはいつだって「じぶん」を対置する。それは「じぶん」を発見するための読書だから。
昨夜、夢の中で「総体としての人間を、個人はその個性の元で生きている」と。
ううん、発見。と、うれしく目覚めた。

以前、鶴見さんのことばで感激したこと。
☆ くらしそのものは、くらしの意識よりも大きい。そしてもっと重大なものを含んでいる。私自身のくらしは、私の考えをこえる重さをもつ。
☆ 記録にのこるわずかの数の個人を越える偉大な個人が人間の総体にいる。人間の総体は、どんな偉大な個人より偉大である。

二十世紀、「個」の尊厳・尊重は集団や社会や国家というものに対峙する形で進んだ。とりわけ、第二次大戦とその反省からの戦後に。
が、レヴィナスは気づかせてくれる。
「個」は人間の総体からできているのだと。
個の尊厳は人間の総体を有する個であることに由来する。
この気づきは観念ではない。あまりに自明なために気づかれてこなかった。

ようよう、《原初》というものに触れるようになってきた。

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